ニューヨークで心理セラピストとして学んだこと
私は20歳で日本を離れ、2021年に日本へ戻るまでの36年間をニューヨークで過ごしました。
渡米した当初は、将来やりたいことなどまったく考えていませんでした。
けれども、ニューヨークで思うようにいかず葛藤した日々がきっかけとなって心理士を目指すようになり、やがてニューヨークは私を臨床家として育ててくれた場所になりました。

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■「知らない世界」に飛び込むことから始まった
大学院でのプログラムが始まると同時に、インターンとしてのトレーニングも始まりました。 私が最初に配属されたのは、オーソドックス・ユダヤ系の幼稚園でした。
そこは宗教的な戒律を大切にしているコミュニティで、朝はヘブライ語のお祈りと歌から始まります。
ユダヤ人でないのは私ひとり。言葉も宗教も、彼らが生活の中で大切にしている習慣についても、知らないことばかりでした。
あるとき、子どものお弁当を温めようとして、Kosher(ユダヤ教の食事規定)用ではない普通の電子レンジに入れてしまい、その子がお弁当を食べられなくなってしまったことがありました。
子どもにも、そして迎えに来たお母さんにも申し訳なく、体がすくむような思いでした。
そんな、馴染みのない知らない世界にいきなり放り込まれたようなところから、セラピストとしての私のJourneyはスタートしました。
■ 多種多様な背景を持つ人々との出会い
その後も、ニューヨークのいろいろな場所で臨床経験を積みました。
低所得者向けの公営住宅にあるアフタースクールプログラムで、小中学生の子どもたちと関わったとき。
そこには、親が刑務所に入っていたり、行方がわからなくなっていたり、複雑な家庭事情を抱える子どもがたくさんいました。
身体は大人のように成長しているのに、Pacifier(おしゃぶり)を手放せない14歳の女の子。学校ではそんなそぶりは見せないけれど、家に帰るとPacifierが手放せません。
あるとき、彼女がお気に入りの3つを持ってきて嬉しそうに見せてくれました。心を開いてくれていることを感じて、私もとても嬉しくなったことを彼女の笑顔とともに思い出します。
小学3年生のグループを担当していたときは、子ども同士で激しい喧嘩になったり、約束をなかなか守れなかったりと、大変なこともたくさんありました。 それでも子どもたちはとても懐いてくれて、週に一度のグループをいつも楽しみにしていました。お別れのときに泣きながら渡してくれた、絵入りの手紙は今でも大切に取っています。
Adult Homeと呼ばれる成人向け居住施設では、統合失調症など重い精神疾患を抱え、家族とのつながりが途絶えてしまった人たちと多く接しました。
グループセラピーでは予想もしないことがたびたび起こり、目の前で起こることに日々奮闘していました。
どの職場でも、アジア人は私ひとり。クライアントにもアジア人がいないことがほとんどでした。
人種も、宗教も、文化的背景も、経済的な状況も、家族のあり方も違う。その中で、「彼らのことをちゃんと理解したい、寄り添いたい」と、いつも必死でした。
■「ひとつの正解」がない街で
ニューヨークは、世界中から多様な文化、価値観、ライフスタイルが集まる街です。
そんな環境に長くいると、「こうするのが普通」「こうあるべき」というひとつの物差しでは、人を理解できないことを思い知らされます。
日本で、日本語しか知らずに育ってきた私からすると、あまりにも広い世界。言い方を変えると、「なんでもあり」な世界。
それゆえに既存の枠に当てはめるのではなく、「この人にとってそれはどんな体験なんだろう」と、話をよく聞き、その人が生きてきた背景に目を向け、全体を理解しようとする。
そんな姿勢が大切なのだと実感するようになりました。
いつまでたっても自分の英語に自信を持てなかったけれど、それでも言葉や文化の違いを越えて、目の前のクライアントと深くつながることができたこと。
そして、セラピーがちゃんとその人の心に届いたこと。
そんな体験を重ねられたことが、私にとってセラピストとしての確かな土台となりました。
■ 日本人としての自分を活かす
一方で、臨床経験を重ねるにつれて、別の思いも強くなっていきました。
日本人である自分自身を、もっとこの仕事に活かしたい。
日本語を話せること。
日本の文化や、日本人の人間関係の中にある独特の感覚がわかること。
ニューヨークとその近郊には、仕事や留学、結婚など、さまざまな理由で暮らしている日本人がたくさんいます。
一見華やかに見える海外生活の中で、実際にはアメリカでの生活になかなか馴染めず、孤独や不安を抱えたり、人間関係や家族のことで悩んだりしている人も少なくありません。
そんなとき、自分の気持ちを細かなニュアンスまで伝えられる日本語でセラピーを受けることや、いちいち説明しなくても日本の文化的背景を共有できるセラピストと話すことが、助けになる人たちがいるのではないか。
私自身も異国で暮らす中で苦しんだ経験があったため、そういった日本人の力になりたいという思いが強くなっていきました。
そうして2008年、マンハッタンでニューヨーク在住の日本人の方々を対象とした個人開業を始めました。
■ 同じ日本人でも、一人ひとり違う
個人開業を始めてから日本に戻るまでの13年間、本当にたくさんの日本人の方々といろいろなお話をしてきました。
当たり前のことですが、同じ「日本人」といっても本当に一人ひとり違います。
育ってきた家庭も、人との関わり方も、大切にしていることも、アメリカにいる理由も。
同じような出来事を経験していても、感じ方や心の動きは千差万別です。
それまで異なる文化や背景を持つクライアントに数多く接してきた経験は、そんな一人ひとりに目を向けるための感受性や柔軟性を育んでくれたように思います。
「こうするのが普通」
「こう感じるはず」
「こうあるべき」
こうした枠にとらわれず、目の前のクライアントに集中し、その人の体験を理解しようとする。
ニューヨークでたくさんのクライアントとの出会いを通して学び、育ててもらったこの姿勢は、いつしかセラピストとしての私の大切な一部になっていました。 今も一回一回のセッションの中に息づいていると感じています。

